投稿

ラベル(東京ヤクルトスワローズ)が付いた投稿を表示しています

赤羽由紘(ヤクルト)選手の応援歌

イメージ
凛々しき立ち姿 度胸魅せてくれ 流れ変える一振り 空へ虹架けろ   ヤクルト・赤羽由紘選手の応援歌。歌詞はかなりシンプルですが、「凛々しき」という目を引くワードから、「流れ変える一振り」とまるでいつも流れが悪いかのようなツッコミどころのある歌詞となっています。しかし、昨年度の逆転サヨナラ満塁弾といい、あながち間違いではなくなっているのが応援歌の不思議なところ。  メロディは変に凝ってないながらも、ヤクルトらしい綺麗なメロディラインで、現地でハモリが聴けようものなら感動ものでしょう。

チャンステーマ3(ヤクルト)

(前奏:All! For! Win! ×3 Ohohohoh yeah! Let’s go!) 勝利を目指し逆境越えて行こう「○○(選手名)」 心ひとつにし突き進め 我らが君の力信じ送る声(オイ!オイ!オイ!) 「All! For! Win! Let’s go Swallows!」 ラーラーラー…「○○(選手名)」 ラーラーラー… (オイ!オイ!オイ!) 「All! For! Win! Let’s go Swallows!」 ヤクルトのチャンステーマは、ほとんどが原曲があり、このチャンテ3も例に漏れず、『逆転検事2』のBGMが原曲となっています。シリアスなシーンで用いられるこの曲が、まさにチャンスにピッタリの演出となります。  曲の奇数ターンは歌詞を歌い、偶数ターンはメロディーに合わせて「ラーラーラー…」と歌いながらジャンプするという凝った応援方法を取り入れており、ロッテのジャンプに負けないくらいの盛り上がりを感じることができるチャンテとなっています。

小野公誠(ヤクルト)選手応援歌

ツバメの夢乗せて 空高く飛ばせ公誠 みんなのこの気持ち ホームまで届け ヤクルトらしいキレイめのメロディの応援歌 特に5-8小節目のどこか遠くへ行ってしまうようなメロディで「ホームまで届け」と歌っている歌詞は感動ものです

三輪正義(ヤクルト)選手の応援歌

勝利という名の 正義のために 異次元のスピードで 今だフィールド駆けろ 私がこの応援歌を聞いた当時は、代打や代走で起用されがちな選手の応援歌を調べており、その中で三輪選手の応援歌に出会いました。 当時三輪選手の下の名前も存じ上げなかったもので、「せいぎ」と書いて「まさよし」と読む名前に深く感動した記憶があります。 私が特に好きなのは5,6小節目の部分で、歌詞は少し小学生感が否めませんが、それとは裏腹に、低音で細かく刻んだメロディラインが秘めたものを解き放つ寸前かのような期待感を感じさせます。

度会博文(ヤクルト)選手の応援歌

イメージ
  【前奏】今だ 狙え ホームラン 守も攻めるも 全てにソツない桜井 皆のヒーローだ 打ち込め放り込めホームラン 【前奏】今だ 狙え ホームラン 行け 燃えろよ ガッツだ桜井 スーパーファイターだ 左右に鋭く打ち分けろ 【前奏】今だ 狙え ホームラン 行け 燃えろよ ガッツだ度会 スーパーファイターだ 左右に鋭く打ち分けろ 前奏のゆっくりした入りからだんだんテンポが速くなり、7~8小節目に畳みかけるようにリズミカルになる応援歌 2024年のオールスターゲームでは、度会隆輝選手の打席で、実の父親である度会博文選手の応援歌が流れました。エモい。

大引啓次(ヤクルト)選手の応援歌

この舞台で 光放つ 今勝負を決める 気迫の一撃 ヤクルトの選手別応援歌では珍しく原曲がある応援歌。 原曲は、「アイアンリーガー〜限りなき使命〜」で、サビではなくではなく歌いだしの部分が採用されているという、これもまたレアなケース。 選手のいぶし銀な感じを表すメロディも相まって、なかなか癖になる。 歌詞は至ってシンプルで、音の高低差もあまりなく、とても歌いやすいため、暇なときに口ずさむのに丁度いいくらいの評価になるであろうか。

今浪隆博(ヤクルト)選手の応援歌

イメージ
勝利を信じる声が こだまするこの地で 今光る君の一打 快音を響かせて 近年のヤクルトは渋めの短調の応援歌が増えてきましたが、少し前まではこのような綺麗めなメロディがほとんどでした 現在は太田賢吾選手に流用されている応援歌ですが、今浪も太田も応援歌が充てられてから活躍の場が減っているのが非常に惜しい 音数も多く、テンポよく歌うことができるため、大声で歌うというよりは、時折口ずさみたくなる応援歌です

高野光(ヤクルトCD版1作目)選手の応援歌

イメージ
いつか投げられると そう信じて堪えた 燃えろ高野よ 悲劇のエースマウンドで ヤクルトは投手応援歌がCD版のみ存在します。 「耐えた」ではなく「堪えた」です。ここテストに出ます。 悲劇のエースといい、曲調といい、悲壮感しかありませんが、肘を故障していたようなので、これが理由でしょうか。けれども、この悲壮感こそが、この曲を印象付ける要因であることは間違いないでしょう。 復活登板を経て1993年には歌詞変更されています。